2013年9月30日月曜日

【ちょっと気になるアート入門16 舟越桂 1951‐】『版の上も、人生も、やったことだけが“あらわれる』


1980年代から深淵で 複雑な精神のありようを捉え、
人物彫刻を制作してきた舟越桂

小説家 天童荒太の「永遠の仔」「悼む人」の表紙を飾る
彼の彫刻を見たことがある人もいるだろう。





ただ、今回見てきたのは彫刻ではなく、新作の版画。

彼曰く、「版画には、デッサンでも、彫刻でもできない
世界があらわれることがあるそうだ。

制作にあたって使われたメゾチントという技法は、
いったん真っ黒にして、白く抜く作業で像が浮かぶ。


このメゾチントを、少しひも解いてみる。

メゾチント Mezzotint(伊)
“直刻法による凹版技法の一種。
フランスではマニエル・ノワール(黒の技法)と呼ぶ。
ロッカーもしくはベルソと呼ばれる道具(先端が櫛のように細かく刻まれた弧状の刃物)を
版全体に当てて無数のまくれを作り、それを削ることで描画する。

削り取った部分が白く浮かび上がり、その加減でやわらかなグラデーションができる。
まくれを作る作業(目立て)をムラなく行なうには相当の手間を要する一方、
まくれは圧力でつぶれやすいために耐刷性に乏しく、印刷枚数は限られる。

ドイツのL・ジーゲンが17世紀半ばに発明し、イギリスで肖像画家制作技法として広まった。
絵画の複製に盛んに用いられたが、リトグラフや写真製版の登場とともに急速に衰退。
20世紀に入ってからこれを復活、発展させたのが、長谷川潔である。
また長谷川に次いでこの技法を開拓し、カラーメゾチントを開発した浜口陽三の名も特筆される”      
                              
                                    (『現代美術用語辞典2.0』より)



長谷川潔 『狐と葡萄


浜口陽三『西瓜』




物理的には、“現れる”、
しかし、善い事が、“顕れる”という意味では、
人間に対する“祈り”に似た表現に近いと思った。

あらゆることがそうかもしれない・・・。

原因と結果ということにさかのぼれば、
人間の原罪と、現在に向き合うことから、逃れられない

ただ、そう思うと、暗澹たる気持ちに沈む一方、それとは違う、
真逆の、未来へ臨む気持ちも、かき立てられもするのだ。


つまり、版の上も、人生も、やったことだけが“あらわれる”

“自分の中を見つめる視線を表現していきたい”、
と言った言葉を受けて「ダブル・イメージ」というテーマを思いながら、
もう一度『オーロラを見るスフィンクス』を見た。

人は、聖なるものと、その逆のものをもつ。
それを強く印象づけられた、そんな版画だった。




2013年9月29日日曜日

【ちょっと気になるアート入門17 北斎漫画】『まさに、マンガだ!』

浮かぶ浮世は楽ばかり、潜ってみれば得ばかり?!『北斎漫画』第4編「浮腹巻」

「富嶽三十六景」がシリアスな面だとしたら「北斎漫画」は、
葛飾北斎(1760-1849)のユーモラスな一面を見せる作品。

北斎は、ゴッホ、ドガなど印象派の画家に影響を与え、
1997年、米雑誌「ライフ」の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、
日本人として唯一ランクイン。

「北斎漫画」はそもそも弟子への指南書として描いた「絵手本」ですが、
その中身は、江戸の庶民の生活や風景、動物・昆虫など、
数千ものイラストを15編にわたって描かれています。

特に、初編(文化11年,1814年)から10編(文政2年,1819年)までは、
約5年間という短い期間で発刊されています。

11編~14編は、北斎漫画・全10編が、人気だったために、
リクエストに応えて作ったものですが、13編、14編になるにつれ、
精根が尽きた感じがします。

なお、15編は、北斎の死後(明治11年1878年)に出された、
遺墨集という形で刊行されました。付録と位置づける研究者もいます。

さて、メインの10編が描かれた文化・文政を含め、
江戸時代は2百数十年もの間、戦の無い極めて平和な時代。
治安も安定し、一般庶民の生活にもある程度の余裕が生まれ、教育レベルも向上。


一般庶民向けての出版物も増えていく。
人々は、粋を好み、不粋を嫌う。犯罪は、不粋の典型、ゆえに自ずと犯罪率は低かった。
そんな時代背景の中、ある意味、『北斎漫画』は、必然的に誕生したとも言えるかもしれません。

ちなみに、今では、世界で通用するマンガ(漫画)ですが、
「漫画」という言葉は、北斎が、『北斎漫画』で初めて用いた言葉。

当時は、「漫筆」という(今の言葉でいえば、“エッセイ” に近い)言葉を
自分の画に応用して「漫画」という言葉を作ったと言われる

さて、作品に目を移すと、版元も、ちょいちょい出てきて
スポンサーにしているところも面白い。

バラバラに描かれているように見えて、
その実、ストーリーや、つながりがあったりなど、
コンテクスト(文脈)を理解できれば、さらに楽しい。

剣術の試合も、北斎にかかれば、およそ真剣さが感じられない、
ナンセンス感あるふざけたものに仕上がっています…(^_^;)

まさに、マンガだ!

剣術稽古?わりとめちゃくちゃ(^-^)


2013年9月28日土曜日

【ちょっと気になるアート入門18 東京オリンピック1964 デザインプロジェクト】「やはり、すごいな、デザインの力は。」

『東京オリンピック2020』が決まりましたね。


祝!東京オリンピック2020開催決定!


いまを遡ること49年前の1964年。
僕らの両親や祖父母世代の胸を躍らせるイベントがあった。

『東京オリンピック1964』。

今までは、『東京オリンピック』と呼ばれていたが、
2020年の開催がきまったことにより、これからは、
年号をつけて『東京オリンピック1964』と呼ばれることになるだろう。


今回、『東京オリンピック1964』で、多くの優秀な才能が、
競うように手がけたそのデザインワークの数々を見に行った。


「やはり、すごいな、デザインの力は。」

===

日本の戦後史における一大イベント、
『東京オリンピック1964』。


東京オリンピック

水泳

陸上


聖火


オリンピックとはいうまでもなく、スポーツの祭典だ。

だが、昭和39年に開催された『東京オリンピック1964』は、
第二次世界大戦で大きな打撃を受けた日本が、
その終結からおよそ20年を経て、奇跡的な経済復興を
成し遂げたことを国際社会に示す、威信をかけた国家イベントだった。


そして、日本のデザイナーたちにとっても、
総力を挙げて取り組んだ、一大デザインプロジェクトでもあった。

東京でのオリンピック開催が決定すると、
1960年には「デザイン懇談会」が組織され、
まず、デザインポリシーが決められました。

まず、全体調整は、デザイン評論家の勝見勝が担当。
シンボルマークとポスターは亀倉雄策
書体、入場券および表彰状を原弘
色の使用、バッジ、ワッペンを河野鷹思
聖火リレーのトーチを柳宗理
また、施設案内のためのピクトグラム、プログラムや会場案内図などの制作は、
田中一光をはじめとする当時の若手デザイナーたちが組織的に取り組んだ。

特に、ピクトグラムは走り高跳びのように、言語の壁を越えて、
重量挙げのように、円滑なオペレーションをしっかり支え、
その後の国際イベントのモデルケースになった。

シンプルで、力強い躍動感のあるポスターは、人々の興味を駆り立てた。
こうした一連のデザインワークは、オリンピックを通じて、
デザインの力を、国
民に身近に感じさせることにつながった。

また、五輪に関連づけた記念切手や菓子類などの商品は、資金面で運営を助けた。

こういうのも、デザインの持つ波及効果だ。


「企画だけでは、現場が付いてこない。
円滑なオペレーションだけでは、ブレイクスルーしない。
デザインだけでは、ブランド効果に繋がらない。

何が欠けても、良い結果には繋がらない。

でも、たまぁに1つだけ突出した迫力あるものが、
全てを凌駕する瞬間もある。ビジネスって解が無いね。」と先輩。

僕もそう思う。

2020年にも、また、新しいデザインや
数々のイノベーションが生まれることだろう。


大いに楽しみである。


2013年9月27日金曜日

【ちょっと気になるアート入門19 フランシス・ベーコン1909-1992】『なんとなく、ジワっとくる…』


強烈なインパクトによって、収まり切らない違和感。
アトリエの写真を前に、ベーコンの声を聞く。


フランシス・ベーコンのアトリエ

「自分の作品は、何も意味しないし、何も語らない。
自分自身も何も話すことはない。

だって言葉で説明できるものなら
わざわざ絵に描く必要なんてないからね。」


ストーリーを作る要素をばっさり、削りとられていることで、
理解されることを拒んでいるのかもしれない。
そういう意味では、このような解釈すら不要なのかもしれない。

また、彼はこうも言う。

「アーティストは、感情のバルブの
ロックを外すことができるんだ。

そうやって、絵を眺めている人たちを、
無理矢理にでも生(life)に立ち戻らせることができるんだよ。」

≪人物像習作 II》1945-46年 ハダースフィールド美術館蔵
なんとなく、ジワっとくる…。

ガラス一枚を隔てることで、
作品と対象者との間に線をひき、
あえて、その境目を行ったり来たりさせているようだ。

写実的なところと抽象的なところ。
バランスとアンバランス。
計算されたことと偶発されたこと。
二次元と三次元。
聖と俗。
あちらとこちら。

ベーコン自身は、形を正面からみても、
よくわからない絵を描くのに、
写実的なベラスケスの教皇の絵に、
強いリスペクトを持っていたりする。

映画監督のデビット・リンチや
前衛的な舞踏家らに、影響を与えた独特の作風。

このような事実一つとっても、
ものの見方の多様性を感じられる。


《ジョージ・ダイアの三習作》1969年 ルイジアナ近代美術館


目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。

これは、展覧会のコピーであるが、それは恐らく、
彼の三幅対にかけているんでしょう。


なかなかうまい。


人間の性的指向は大まかに

異性愛(ヘテロセクシュアル)
同性愛(ホモセクシュアル)
両性愛(バイセクシュアル)
無性愛(ア・セクシュアル)

にわけられる。

そして、ベーコンは、同性愛の芸術家として知られる。

作家の内面、性質、環境が、作品に影響するのは自明だが、
どの部分が、どのように、表出しているか、
とここまで書いても、まだまだわからない…。

これからの人生を通してなのか、いつかわかるのか?
わからないまま、人生を終えるのか?

どうなるかわからない。


そう、人生はわからないもんだ。

わからないものを、わからない。

たまに、そんなものに出くわすのも悪くない…。


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facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機に、バージョンアップさせました。
※彼の生涯を取り上げた映画

愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像(1998)


http://goo.gl/xclm5c





2013年9月26日木曜日

【ちょっと気になるアート入門20 岡本 一平1886-1948 】芸術という光で影響を与えあう“月と太陽”

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岡本一平画「漱石先生」

大正・昭和にかけて人気を博した漫画家 岡本一平。

40歳前後の世代には、教科書に掲載された、“夏目漱石” を通して、
彼の作品を見ている人も多いのではないか。


岡本一平画 松本幸四郎「渡辺綱(戻り橋)」 
松本幸四郎7代目(1870-1949)

一平の絵の特徴は、舞台写真と比較してもわかるように、
少ない筆数にも関わらず、どの役者の、どの演目か
判定できるほど、明確に特徴を捉える観察眼の鋭さ、
描写力の確かさ、そして、どこかユーモラスな画風でしょうか。

画像は、ちなみに、『松本幸四郎「渡辺綱(戻り橋)』とは、
松たか子さんの父、ではなく、七代目。
(年代的に考えれば、当然ですよねぇー(^_^;))


其人に似せることはできても、其人の癖を取って描くことはなかなか出来るものではない」と、坪内逍遙も、大いに認めていたという。


岡本一平は、「漫画とは世態人情を穿つ絵をいふ」と考えていた。


同時代性を重視し、朝日新聞の社会面にコマ画を描き、
やがて漫画に短い文章を添えた「漫画漫文」は、
当時の新しいスタイルとして、大いに受け入れられる。
(今の時代でいえば、山藤章二さんが一番近いのかな…。)

そういえば、麻生元総理が言っていた「漫画は世相を映す鏡だ」とも、一脈通じる。

また、昨日の、『3つのフレームワーク』で考えるならば、

1.表現者→岡本一平本人
2.評価者→坪内逍遥
3.支援者(スポンサー)→新聞社~一般大衆。
 
話はそれるが、“評価するから支援する”ので、「評価者=支援者」といえなくもない。

そのことを、よりイメージしやすい形でお伝えすると、
2の評価者は、ブレイクのきっかけ、初期の応援者、才能の発掘者。
3の支援者は、経済的なサポーター、生活の糧を得る手段を支える利害関係者、となる。


話を戻す。

岡本一平は、他にもエピソードに事欠かない。
現代につながる話で言えば、甲子園にある「アルプススタンド」。

「岡本一家」 左:一平 中:太郎 右:かの子


1929年(昭和4年)に全国高等学校野球選手権大会の取材で阪神甲子園球場に来ていた一平は、この年大幅に増築されたスタンドが観客の着衣で白く映え上がって見えたことを、一緒に観戦していた息子の太郎が「わあ、凄い。まるでアルプスみたいだね。」と発した言葉からインスピレーションを受け、「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」とイラストつきで朝日新聞に発表。このことから「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。


また、幼少期の手塚治虫は、一平の『一平全集』を読んで影響を受けたと語っているし、
芸術家 岡本太郎の父として、文筆家の岡本かの子の夫としても有名なところだ。
社会的なところで、お話しすると、日本初の漫画団体の結成にもかかわっている。

観察眼鋭い彼自身が、個性のあふれる周囲の人物から
大いにインスピレーションを受けたであろうことは推測できるが、
それに勝るとも劣らない大きな影響を
表現者に与えたということも、また、間違いのないところだろう。

2013年9月25日水曜日

【ちょっと気になるアート入門21  貴婦人と一角獣展 】人生のタピスリーをつくっていくのだ。 自分の意思という縦糸で、他者と生きるという横糸で。

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連作タピスリー『貴婦人と一角獣』より「我が唯一つの望みに

タピスリーとは、そもそもなんなのか?

フランス語でタピスリー、英語でタペストリーと読む綴織壁掛(つづれおりかべかけ)のこと。製織方式は平織(ひらおり)の文様織。ふつう竪機(たてばた、経糸を垂直に張って織る機)を用い、経糸(たていと)に麻糸、緯糸(よこいと)に太い毛の染め糸(また絹や金銀糸なども)を用いる。緯糸を適当な長さに通して絵柄を織り出し、自由に絵画的主題を表現する。(weblioより)

今回、僕が見たのは、国立新美術館のホールを包む、壮大な6 面の連作タピスリー。
なんといっても、まず、その大きさに驚く。圧倒的な存在感。

最小のもので、312cm×330cm。
最大のもので、377cm×473cm。
通常、建築現場の養生シートは180×360㎝

こんなものが、居住空間に6枚も飾られているのだから、
どれだけ家(城?)が広いかということは、想像に難くない。

話が変わるが、個人的に、“ちょっと気になるアート”に出会うと、
3つの視点で、 整理するようにしている。

1.表現者(製作者)
2.評価者
3.支援者(スポンサー)

例えば、現在のマンガを例にとると、
1.漫画家
2.編集者(読者)
3.出版社(読者)
と言う感じだ。

ただ、芸術作品が面白いのは、
“時代を越える”、ことだ。

1.表現者(製作者)はかわらないのに、
2.評価者、3.支援者(スポンサー)が変わることだ。

それによって、埋もれていた“アート”が、
ある日、突然「日の目」を見る。

話を戻す。

今回のタピスリーもいわば、2.評価者が、眠っていた“アート”を掘り起こしたと言え
最初の、3.支援者(スポンサー)については、こう考えられている。

ペスリーの中に描かれた旗や、ユニコーンや獅子が身に着けている盾には、フランス王シャルル7世の宮廷の有力者だったジャン・ル・ヴィスト(Jean Le Viste)の紋章(三つの三日月)があり、彼がこのタペストリーを作らせた人物ではないかと見られている。ジャン・ル・ヴィストがリヨン出身であり、獅子の「lion」はリヨン「Lyon」から、一角獣は、足が速いためフランス語で「viste」(すばやい)とル・ヴィスト(Le Viste)の一致によるものと言われている。

1841年、歴史記念物監督官で小説家でもあったプロスペル・メリメが現在のクルーズ県にあるブーサック城(Château de Boussac)で発見。タピスリーは保存状態が悪く傷んでいたが、小説家ジョルジュ=サンドが『ジャンヌ』(1844年)の作中でこのタペストリーを賛美したことで世の関心を集めることとなった。1882年、この連作はクリュニー美術館(中世美術館)に移され、(wikipediaより)”

2013年、それが貸し出され、東京、そして、大阪に展示され、現在に至る。

今回の『貴婦人と一角獣』は、それぞれ「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」
「我が唯一の望み」と名付けられたと呼ばれるタピスリーの作品群。


僕がこの一連のタペスリーを見たときに、ジョルジュ=サンドと同じ感想を持った。
赤地に、斜めに入る特徴的な青。そこに配置された三日月。

彼女は、タピスリーに織り込まれた旗にイスラム由来のものを感じた。
そして、そのインスピレーションに物語をつける。

“これらのタペスリーは、フランスに幽閉されたオスマンの王子が、
そこで出逢った姫に恋をし、贈り物として捧げたのだと… 。”

事実は違うようだが、
しかし、それはある意味どうでもいいのかもしれない。

本が作者のもとを離れ、読者のインスピレーションの中で完成されるように、
壮大な芸術作品も、また鑑賞者の新しい芸術に引き継がれていくとも、言えるのだから。

そして、僕らも、人生のタピスリーをつくっていくのだ。
自分の意思という縦糸で、他者と生きるという横糸で。

そのバランスによって、どんなものができあがるのか?
“いい年した大人” なのだが、まだわくわくしている。

2013年9月24日火曜日

【ちょっと気になるアート入門22 宮崎駿 1941〜 】『凡て汝の手に堪ふることは力をつくしてこれを為せ。』



『風立ちぬ』 二郎とカプローニ 邂逅の場面

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『風立ちぬ』原画展に行ってきた。

宮崎駿の描く飛行体は、
主人公二郎が乗る鳥型飛行機や
設計した九式単座戦闘機、
カプローニが作ったCa60など、
いずれも美しくチャーミングだ。

展示された原画は、
飛行機以外も含め100点を超える。

こういう原画に添えられる
メモには、制作のプロセスが
垣間見えるので、とても面白い。

例えば、主人公の恋人の
名前は、当初"奈穂子"だったとか。
(堀辰雄の原作に由来し
"菜穂子"に変わったらしい。)

飛行機の原画に、
「適当によろしく」とか、
「まっすぐとか平行に
しばられないように」とか、
「神経質にならないこと」とか、
コメントを見つけては、思わず
クスっとさせられる。

おそらく中世の芸術家が、
工房でたくさんの作品を
分担作業で作った時も、
こういうやりとりがあったんではないか…。

映画を別の角度で楽しめる良い機会になった。

あれからほどなくして、宮崎監督は、引退を宣言した。


作品歴の中で、最も思い入れのある映画は『ハウル』




宮崎監督いわく“「監督になってよかったと思うことは一度もない。でも、アニメーターになってよかったと思うことはある。うまく風が描けたとか、水の処理がうまくいった、光の表現がうまくいったとか…そういうことで2、3日、短くても2、3時間は幸せになれる。でも、監督は最後に判決を受けなければ行けない。これは胃によくない」” 

ただ、別の講演で宮崎監督はこうも、語っている。
「どんな仕事でも、たぶんその瞬間はやってよかったとか、意味があったという瞬間をもっている。それを見つけなければいけないという意味ではないか」と。

監督として「意味がある」瞬間を追い求めた人間 宮崎駿の苦悩が垣間見えた気がした。
また、引退会見ではこうも語っている。

 “「僕の尊敬している作家の堀田善衛さんが最晩年、エッセーで旧約聖書について書いたものがある。その中の文章から影響を受けている。10年という時間については、僕は絵の先生から『絵を描く仕事は38歳くらいに限界が来るから気をつけろ』といわれた。僕は18の時から修行を始めたが、監督になる前『アニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ることだ。風や人の動きや表情やまなざしや体の筋肉の中に世界の秘密がある。そう思える仕事だ』と分かった。そのとたん、自分の仕事がやるに値する仕事だと思った。それはだんだんややこしくなるんですが、その当時、自分は本当に一生懸命やっていた。これからの10年はあっという間に終わるでしょうね”と。

重たい言葉だ。

上の宮崎監督のコメントでふれていた堀田善衞さんは、
『空(くう)の空(くう)なればこそ』の中で、こう語っている。

『凡て汝の手に堪ふることは力をつくしてこれを為せ。』

人生を語るには、まだまだ早い。
でも、それしかない。

本当に、最後の作品になってしまうんだろうか…。

2013年9月23日月曜日

【ちょっと気になるアート入門23 レオ=レオニ 1910-1999】「芸術って、社会に、どう役に立つの?」

以前、facebookに投稿をしたのですが、一部、加筆して、ブログに転載しました。
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スイミー、何回読んでも、勇気づけられる。


レオ・レオニ展、行ってきました。
『スイミー』の作者です。

会場の一角には、『スイミー』の世界を
体験できるようになっています。

ビジョンに映るスイミーたちに、
近づくと、さぁーっと、逃げていく。

しばらくすると、みんなで、
あの大きな赤い魚になるのです。

ははは、俺が、敵の大きな魚ね…。

・・・

彼の絵には、人間がでてきません。

それは、黒人の子どもの絵を見て、白人の子どもが、
「だって、あれは黒人の話でしょ」って終わらせないために。

これは、彼が、裕福な家系に生まれながらも、
ユダヤ系ということで、迫害されたことに関係があるのかも知れません。

(ちなみにどれぐらい裕福かと言うと、脱税を逃れるために、
おじさんがシャガールの絵を隠しに来るくらい(^_^;))

だから、ねずみやカメレオン、
鳥、魚に、語らせるのです。

芸術の持つ力を。
人生に向かうスタンスを。
自分とは自分なんだということを。


のほほんとした、このねずみの一言が、実に深い…。

彼の絵本に、『フレデリック ちょっと かわった のねずみの はなし』という、
詩を紡ぐねずみの話があります。


「芸術って、社会に、どう役に立つの?」って思う人に、
新しい気づきがあるかもしれません。

たしかに、詩はお腹をいっぱいにすることはないかもしれませんが、
言葉は、時として、悲しみや寂しさ、労苦を忘れさせ、
心に希望を与え、前に進む力を与えてくれることもあるのです。

あと、レオ=レオニの人類への大きな発見は、
“時空のあわいに棲み、われらの知覚を退ける植物群”「平行植物」です。

平行植物が長い間、表立ったアカデミズムから異端視されてきたのには理由がある。
平行植物を記録する事が極めて困難であるためである。

===
通常、自然物が命名・分類されるには、個体のサンプルが必要となるが、
平行植物の多くは、人が「触れる」とたちまち崩壊してただのチリとなってしまう。

また、写真撮影を試みてもまともに写らないか、まったく写らないことが多い
(ツキノヒカリバナ科のように人の肉眼でも不可視なものもある)。

発見後ほんの一瞬、また数日から数年で掻き消えるように消失する例もあるし、
その逆に突如として出現する事もある(ただし、それは観測者の主観でしかない)。

よって、平行植物の記録は、それらが平行化する前後の化石のような痕跡か、
観測者によるスケッチと伝聞によるしか手段が無かった。 

しかしながら、月光に含まれる「o因子」の発見、ポリエフェメロール・レンズの発明、
特殊な樹脂(ステオフィティシロール)による封入法の開発、カンポーラ研究所による
新たな環境隔離装置の研究などにより、いままで「言葉」でしかなしえなかった平行植物の研究が可能となった。

また、近年はデジタル映像解析やCG、ホログラムなどといった新たな手法が模索されており、
さらなる平行植物学の可能性が期待されている。日本のカメラメーカー「ダゴン」では
生体素子による記録媒体の研究も進んでいる。(wikipediaより)

===

そんなものを、どうやって見つけるんだ…。

通常の世界にいる人々の言葉では、
本稿における平行植物に関する事柄・品種名・団体名・人名などは、
すべてレオニによるフィクションである。
ということになる。

「なーんだ、やっぱり。」って思うか。
「いやいや、本当は、あるんじゃない?」って思うのか。

あなたはどう思われますか?






2013年9月22日日曜日

 【ちょっと気になるアート入門24 伊藤若冲 1716~1800】 「大震災がつないだご縁」

鳥獣花木図屏風(上:動物が29種類、下:鳥が46種類います。)

http://fukuhen.lammfromm.jp/?p=18770
東日本大震災復興支援 特別展「若冲が来てくれました 
プライスコレクション 
江戸絵画の美と生命」を見てきた。

今回、世界的な若冲のコレクターであるプライス夫妻が、
東北3県への復興を支援したいと申し出たのが、そもそものはじまりだ。

もちろん、伊藤若冲作品がメインであることは、確かだ。
しかし、「江戸絵画の美と生命」とあるだけに、作品群もまた多様だ。

プライス夫人の悦子さんのお言葉を借りると、江戸絵画の魅力は、
1.みていて楽しい
2.色彩が美しい
3.技術(が素晴らしい)
ということなのだそうだ。

確かに、これだけのコレクションを魅せられたら、反論できない。
(もちろん、反論する気など、さらさらないが…。)

今回の若冲作品で言えば、真っ先に、
≪花も木も動物もみんな生きている(鳥獣花木図屏風)≫があげられる。

悦子さんが、被災者に見て元気になってもらおうと思い、
そもそも、今回の特別展を催すきっかけになった作品だ。

これは、若冲が仏教から強く影響をうけた世界観「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ:草木や国土のように心を持たないものでさえ、みんな仏性があるから、成仏する)という考えを表しているとされる。

僕は、この作品の持つ明るさとともに、どことなく「ノアの方舟」に通じるような、
新しい世界を作っていかなくては、いけない責任のようなものを感じた。

あまりの動植物の多さからか?
86,000もの桝目の1つずつ色を塗る、点描を彷彿とさせる精緻な「桝目描」に魅せらせたからか?
それはわからないが…。

その他の若冲作品で言えば、鯉のうろこに筋目描の特徴がよく出ている≪飛びはねたコイ(鯉魚図)≫や鶏のドヤ顔よろしく≪日の出をつげるオンドリ(旭日雄鶏図)≫、鶴の立つ対比の構図が面白い≪竹と梅と二羽のツル(竹梅双鶴図)≫など、どれも躍動感があり、生命力が強く伝わってくる作品ばかりだ。

竹梅双鶴図





他にも素晴らしい作品が多いが、本当に全ての作品を
書いてしまいかねないので、この辺にしておく。

プライスさんいわく、自分のコレクションから
1点だけしか持ち出せないとしたら・・・もっていくのはこれなんだそう。
森狙仙作 猿図 





今回のコレクションは、若冲以外にも、「長沢芦雪」、「曽我蕭白」「森狙仙」などの有名どころから、
葛蛇玉」「河鍋暁斎」など通、いやはっきり言ってマニア好みまで、寄せられた豊富なコレクションは、被災者のみならず、多くの日本人を楽しませ、元気づけたことと思う。

「美しいものは、心の支えになる」
妻の悦子さんがインタビューで語っていたこの言葉は、真実だ。

また、展示作品1つ1つにわかりやすいコピーをつけたり、図屏風の見方を解説したり、
高校生以下は無料と言った様々な取り組みに、未来を担う子どもへの気持ちの篤さを
強く感じさせる
ご夫婦のお人柄のあふれる、そんな展示であった。http://jakuchu.exhn.jp/index.html

右から、悦子・プライスさん、ジョー・プライスさん、“若冲の火付け役”辻惟雄さん