2013年9月26日木曜日

【ちょっと気になるアート入門20 岡本 一平1886-1948 】芸術という光で影響を与えあう“月と太陽”

facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機に、バージョンアップさせました。
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岡本一平画「漱石先生」

大正・昭和にかけて人気を博した漫画家 岡本一平。

40歳前後の世代には、教科書に掲載された、“夏目漱石” を通して、
彼の作品を見ている人も多いのではないか。


岡本一平画 松本幸四郎「渡辺綱(戻り橋)」 
松本幸四郎7代目(1870-1949)

一平の絵の特徴は、舞台写真と比較してもわかるように、
少ない筆数にも関わらず、どの役者の、どの演目か
判定できるほど、明確に特徴を捉える観察眼の鋭さ、
描写力の確かさ、そして、どこかユーモラスな画風でしょうか。

画像は、ちなみに、『松本幸四郎「渡辺綱(戻り橋)』とは、
松たか子さんの父、ではなく、七代目。
(年代的に考えれば、当然ですよねぇー(^_^;))


其人に似せることはできても、其人の癖を取って描くことはなかなか出来るものではない」と、坪内逍遙も、大いに認めていたという。


岡本一平は、「漫画とは世態人情を穿つ絵をいふ」と考えていた。


同時代性を重視し、朝日新聞の社会面にコマ画を描き、
やがて漫画に短い文章を添えた「漫画漫文」は、
当時の新しいスタイルとして、大いに受け入れられる。
(今の時代でいえば、山藤章二さんが一番近いのかな…。)

そういえば、麻生元総理が言っていた「漫画は世相を映す鏡だ」とも、一脈通じる。

また、昨日の、『3つのフレームワーク』で考えるならば、

1.表現者→岡本一平本人
2.評価者→坪内逍遥
3.支援者(スポンサー)→新聞社~一般大衆。
 
話はそれるが、“評価するから支援する”ので、「評価者=支援者」といえなくもない。

そのことを、よりイメージしやすい形でお伝えすると、
2の評価者は、ブレイクのきっかけ、初期の応援者、才能の発掘者。
3の支援者は、経済的なサポーター、生活の糧を得る手段を支える利害関係者、となる。


話を戻す。

岡本一平は、他にもエピソードに事欠かない。
現代につながる話で言えば、甲子園にある「アルプススタンド」。

「岡本一家」 左:一平 中:太郎 右:かの子


1929年(昭和4年)に全国高等学校野球選手権大会の取材で阪神甲子園球場に来ていた一平は、この年大幅に増築されたスタンドが観客の着衣で白く映え上がって見えたことを、一緒に観戦していた息子の太郎が「わあ、凄い。まるでアルプスみたいだね。」と発した言葉からインスピレーションを受け、「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」とイラストつきで朝日新聞に発表。このことから「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。


また、幼少期の手塚治虫は、一平の『一平全集』を読んで影響を受けたと語っているし、
芸術家 岡本太郎の父として、文筆家の岡本かの子の夫としても有名なところだ。
社会的なところで、お話しすると、日本初の漫画団体の結成にもかかわっている。

観察眼鋭い彼自身が、個性のあふれる周囲の人物から
大いにインスピレーションを受けたであろうことは推測できるが、
それに勝るとも劣らない大きな影響を
表現者に与えたということも、また、間違いのないところだろう。

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